出澤真理さんは再生医療の研究者で、現在は東北大学大学院の教授をされています。
出澤真理さんは「ミューズ細胞」を発見された方で、注目をされていますね。
そこで本記事では出澤真理さんとはどんな人物なのか?
「出澤真理の学歴や経歴は?勉強が出来なかったって本当?研究者になったきっかけとは」と題して、出澤真理さんのこれまでの経歴を詳しく紹介していきたいと思います。
それでは早速見ていきましょう。
出澤真理の学歴や経歴
出澤真理さんは1963年、福岡県で生まれました。
2023年では60歳になります。
世界がん撲滅サミット2022 in OSAKA 登壇者 出澤真理氏 10月26日、Muse細胞の新発見について記者会見! https://t.co/ZY9wuZlkeF pic.twitter.com/TvhS5jo1CS
— PR TIMESビジネス (@PRTIMES_BIZ) October 25, 2022
【学歴・経歴】
1995年 (32歳) | 千葉大学大学院 医学研究科 博士課程修了 |
1995年 | 千葉大学 医学部 助手 |
2000年 (37歳) | 横浜市立大学医学部 解剖学第一講座講師 |
2003年 (40歳) | 京都大学大学院 医学研究科助教授 |
2008年~現在 (45歳~) | 東北大学大学院 医学系研究科教授 |
現在は東北大学大学院・医学系研究科・細胞組織学分野教授をされている出澤真理さん。
2010年「ミューズ細胞」を発見し第3の万能細胞として期待されています。
- 体のさまざまな組織の細胞に変化する修復細胞である
- 古代よりトカゲやヤモリなど生物の体中に存在していた
- 人間の体にも存在するが、進化と共に減少し、さらに老化によって失われていくため、ミューズ細胞の活力は他の動物に比べて減退している
- これを人為的に補強することによりストレス耐性があり、腫瘍性を持たないため、他の幹細胞よりも短時間でDNA損傷の修復を安全に行うことができる
- ミューズ細胞を点滴で静脈に投与することで、脳梗塞、腎不全、肝障害、皮膚損傷など、様々な組織を修復させることができる
この考えが実現すれば、例えば脳梗塞を患い寝たきりになっている患者がミューズ細胞を注射すると、起きて食事をしたり、トイレに行く事もできるようになると考えられているようです。
また再生が不可能と考えられている、心筋や神経の再生などに対して、損傷した部分を補充する細胞として機能することが出来るようです。
出澤真理は勉強が出来なかったって本当?
出澤真理さんの父親は生物学者で、アメリカYale大学やドイツのミュンヘン大学で研究をしていました。
その為1歳から4歳までアメリカで過ごし、その後は当時の西ドイツに移りました。
西ドイツの幼稚園に通っていましたが、小学校の途中で日本に帰国、再び小学校高学年からまたアメリカに渡り、中学2年で日本へ戻ってきたそうです。
中2で日本の学校に入りましたが、アメリカの公立高校とは比べものにならないほど学力が高く、英語以外は全く勉強が出来なかったという出澤真理さん。
生物学者だった父親ですが、あまり教育熱心ではなかったようで、真理さんは近くの手ごろな公立の学校に通っていて教育レベルはとても低く、小6か中1のときに九九をやっていたそうなんです。
また、日本に帰ってきて「みんな同じじゃないといけない」という風潮がある事がとても窮屈だったと言う真理さん。
みんなが何でも一緒という感じだったので、部活動なども入りたいと思わなかったそうです。
アメリカではみんなが一緒でないといけないなんて考えは成立せず、日本に比べるとずっと自由なんだそう…。
そして高校に進学するにあたり、さすがに親もこのままじゃ大変なことになると思ったようで、家庭教師を付けてくれたようです。
その家庭教師の先生の親切な指導もあり、無事に県立高校に進学されました。
服装も自由、中間試験も廃止されるなど、比較的自由な校風の学校だったようです。
出澤真理が研究者になったきっかけとは
出澤真理さんは現在は再生医療の研究者ですが、高校時代の将来の夢は「検事」か「裁判官」になりたかったそうです。
検事になって、このたるみきった日本の社会をシャキッとさせようと思われていたそうなんです。
高校生の考えにしては凄いですね…昔からしっかりされていたようです。
なので大学は法学部に入りたいと思われていたようですが、とにかく国語が苦手でとても六法全書を理解することはできないと思い、高校2年生の時に検事になるという夢はあきらめたそうです。
初めから日本で教育を受けていたら、間違いなく法学部に進学していたと話されていた出澤真理さん。
本当に検事になりたかったし、今でも憧れているようです…。
法学部を諦めた出澤真理さんは、臨床医になる為に医学部に進学されます。
しかし実際に臨床医として働いてみると「自分には向いていない」と思い、研究者に向いていると気づき方向転換をされました。
研究者になってからは
「失ってしまった身体の機能を自分の細胞を使って回復させることができないか」
と、漠然と考えられていたようです。
それから数々の研究を経て、2010年4月に「ミューズ細胞」が発表され、「第3の多能性幹細胞」と話題になりました。
現在もミューズ細胞を用いた新しい治療法の開発に取り組まれています。
「ミューズ細胞」が実用化できれば、本当に凄い事ですよね!
この後11時~は
— 情熱大陸 (@jounetsu) January 22, 2023
MBS/TBS系 #情熱大陸
再生医療研究者/#出澤真理
全国の共同研究先を奔走し
多忙な日々を送る。
難病患者やその家族から、
直接声を聞くこともある。
研究への期待は大きく
一瞬足りとも気は抜けない。
けれど、つかの間の休日に
初孫を抱くとき、
その表情は安らぎに満ちていた。 pic.twitter.com/wsl4d1j1JA
出澤真理さんは結婚されていて、夫は臨床医で息子さんが一人いらっしゃるそうです。
お孫さんもいて、上記の写真は初孫のようです。
優しいおばあちゃんって感じですね。
まとめ
今回の記事では、ミューズ細胞を発見し研究されている出澤真理さんについて、詳しい経歴などを紹介していきました。
幼少期はアメリカで過ごされ、日本に帰ってきてからは勉強があまり出来なかった出澤真理さんですが、家庭教師をつけてもらい県立高校に進学されました。
高校に入ってからは検事になりたいと勉強されていましたが、国語が苦手で六法全書が理解できないと、高2で夢はあきらめました。
それからは医学部に進学し、自分は研究者に向いていると気づき現在に至ります。
2010年に発表されたミューズ細胞の研究は現在も続いています。
もし実用化されれば、医療の未来が広がりますね!
コメント